高師浜駅

高石市

大阪府堺市と高石市に跨る浜寺公園はかつて海水浴場として栄え、白砂と松林が広がる関西屈指の景勝地だったとされる。その当時の「高師浜」の地名は現存しており、南海本線羽衣駅から枝分かれする「南海高師浜線」なる盲腸線があり、その終点に「高師浜駅」がある。

南海高師浜駅を降りると、ステンドグラスが嵌めこまれたモダンな駅舎があり、駅前の小さな広場にはこの土地が昔どのような使われ方をしていたかを説明する案内板がある。

かつてこの土地は「浜寺俘虜収容所跡」で、日露戦争に勝利した日本がロシア人俘虜を多数収容していた場所でもあった。明治37(1904)年の日露戦争によって、当時わずか3500人だった高石村に人口の8倍にあたる約28000人の捕虜が収容されていたというのだ。日露戦争後、捕虜は全てロシアに送り返され、収容所跡地は陸軍宿舎になったが、大正時代に住宅街として整備され、その時に南海高師浜線も出来た。

南海高師浜線は朝夕15分に1本、昼間は20分に1本の頻度で羽衣、伽羅橋、高師浜の三駅を結んでいる。

高石市 高師浜

高石市 高師浜

高石市 高師浜

高石市 高師浜

タイトルとURLをコピーしました