寿町ドヤ街

横浜市中区

戦後の時代から長らく横浜に息づく市内きってのダークサイドゾーン、一つはちょんの間地帯として隆盛した黄金町なのは言うまでもないが、もう一つは港湾労働者のドヤ街として独自の発展を遂げた寿町の存在だ。寿町は山谷や釜ヶ崎のような歴史ある貧民街ではない。終戦後、米軍に接収された土地が昭和30(1955)年に解除された後に職業安定所が当地に移転した事を皮切りに、簡易宿泊所などの業者が一斉になだれ込んできて今のようなドヤ街が形成されている。

ドヤ街の範囲は山谷や釜ヶ崎よりも狭く、横浜市中区寿町および松影町の僅か200メートル四方もない地域にビル型の簡易宿泊所が密集しており、約6500人もの人々が肩を寄せ合いながら暮らしている。かつてはその多くは港湾労働などを主とする日雇い労働者であったが、現在は高齢者や生活保護受給者が殆どである。地域内にはお安く呑める酒場や角打ち、大衆食堂もあれば激安惣菜を売る土着型スーパー、コインシャワーやコインランドリー、韓国スナック、ホームレス支援団体、非合法の馬券売場(ノミ屋)といった店舗が密集しており、一部には外国人バックパッカー向けの安宿として営業している簡易宿泊所もあるが、まだまだ気安く余所者が立ち入れる雰囲気ではない。