物件情報
尼崎市街地から大きく外れた神崎川流域のうち、神崎川と猪名川との合流地点にあたり、神崎川と旧猪名川に囲まれた中州地帯となっているのが戸ノ内町である。三方を川に挟まれ、同じ尼崎市内からのアクセスは町域の北側にある戸ノ内橋しかなく、市内における立場は半ば飛び地のような格好だ。さらに大阪市側からモスリン(毛斯倫)大橋が、豊中市側から椋橋が掛かっていて、戸ノ内町に入る為にはこの三つの橋のどれかを渡らなければならない。
この戸ノ内町にあった有名なものと言えば「神崎新地」という戦後に中心市街地から移転してきた業者によって作られた特飲街であったが、元々からこの土地は貧困層が寄り添う大阪下町文化圏におけるリバーサイドスラムの一ヶ所として独自の歴史を歩んできた場所でもある。
その証拠にこの土地には未だに暴力団事務所や政治結社云々書かれたイカツイ建物が見られるし、かつては差別に苦しんだ沖縄出身者、被差別部落出身者、在日韓国朝鮮人といった人々が肩を寄せ合って暮らしてきたという土地。今でも戸ノ内町の各所には沖縄の苗字を掲げるお宅や沖縄系居酒屋がちらほら見かけられる、知られざるウチナーンチュコミュニティだ。
2017年に山口組暴力団抗争の中、神戸山口組から離脱した「任侠山口組」が戸ノ内町三丁目にある真鍋組事務所を本拠地とし、国家公安委員会により「主たる事務所」に認定されている。
物件写真
潰れた純喫茶
市営住宅に入居する沖縄系居酒屋
街には殺伐とした空気が漂う
不自然な空き地も多い
神崎新地という戦後に発足した赤線地帯もあった
「政治結社日本塾」と書かれた建物