今ではすっかり新都心として整備された「おもろまち」地区にある、何の変哲も無い小高い丘。その上にはでかい貯水タンクと、ちょっとした展望台、DQNに荒らされて閉鎖された公衆トイレがある程度だ。ここはかつて沖縄戦における熾烈な消耗戦が展開された「シュガーローフの戦い」の舞台となった丘である。日本軍側はこの高台を「すりばち丘」「安里五二高地」と呼び、高台の上から慶良間諸島がよく見えた事から「慶良間チージ」の愛称もあった。昭和20(1945)年5月12日~18日までの一週間で日米両国で数千人単位の戦死者を出した場所でもあった。
おもろまち地区が再開発される前は米軍牧港住宅地区として使われていて、昭和62(1987)年の全面返還を受けて、2000年代以降新都心としての体裁が整えられた。同じ丘の上に立って景色を眺めると、那覇市内が一望できるばかりでなく、観光客向けの免税店「DFSギャラリア」の店舗も眼下に見える。沖縄戦当時の激戦地だった頃の名残りはもう見られない。