丹波マンガン記念館

京都市

現在は市町村合併で京都市右京区の一部となっている旧北桑田郡京北町に属する山間部にかつて全国屈指のマンガン鉱山があり、戦前の富国強兵の時代には「鉄に混ぜると硬くなる」マンガンの特性から兵器製造に必須の金属として盛んに採掘が行われたとされる。その作業には朝鮮半島や被差別部落出身者が労働力として多く加わり、戦時中には「朝鮮人の強制連行もあった」との主張もある。そのマンガン鉱山の一つ「新大谷鉱山」を戦後に在日朝鮮人で元炭鉱夫だった李貞鎬氏が山ごと買い取り、マンガン鉱山をまるごと展示施設として公開しているのが「丹波マンガン記念館」である。

1989年5月にオープンし、その後1995年に初代館長だった李貞鎬氏はじん肺による影響で早くして故人となり、現在は二代目の李龍植氏及びその家族が経営しているが、資金難の為に2009年5月末から一時期閉館していた。しかし支援者のカンパなどもあって2011年7月に再開にこぎつけており、現在まで細々と続いている形のようだ。

昭和51(1976)年に閉山したマンガン鉱山が展示用に改修され見学コースとなっている他、資料館内には鉱山現役当時の写真の数々や「強制連行」を主張する展示物が所狭しと置かれていて、この手の問題に興味のある方であれば1200円という少しお高い入場料以上の値打ちはある。しかしこの料金設定とどこか不気味で場末感極まる空間故に料金所の手前で引き返す観光客の姿もちらほら。どのみち京都市街地から片道1時間以上も山の中を抜けて来ないと辿りつけない僻地だし、来るのはそれなりに覚悟は必要です。

京都の山奥にある朝鮮人強制連行を伝える唯一の施設らしい「丹波マンガン記念館」訪問

京都市 京北町

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