渡鹿野島

志摩市

三重県志摩市の的矢湾に浮かぶ「渡鹿野島」、その手の愛好家には誰の耳にも届く程有名な島である。江戸時代に大坂と江戸を行き来していた廻船が風待ち港として立ち寄った島で、はしりがね(把針兼)と呼ばれる遊女達が船乗りを相手にしていた事から「女護ヶ島」の別名もあり、その昔から歴史が連綿と続けられてきた。

それが現代には不穏な噂が付きまとう伝説の島として全国区に知られるようになったが、残念ながら相当前から寂れてきていて島の飲食街や住宅も軒並み廃墟だらけ、見捨てられたような悲惨な状況になっている。一部では健全な観光業にシフトすべくバリ島風味の綺麗な観光旅館をこしらえてリゾート気分の客を呼び込んだりして起死回生を図っているが、負のイメージが今なお強い土地だ。

志摩市 渡鹿野島

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