丸山遊郭

長崎市

「行こか戻ろか思案橋」のフレーズが何より先に思い浮かぶ長崎電鉄思案橋駅から盛り場を抜けるとその先が丸山町。江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊郭の一つに数えられた場所、という説明は今更申し上げるまでもない程に有名なもの。

出島と唐人屋敷を抱える国際港長崎において、そうした場所に出入りを許されたのが丸山の遊女であり、彼女らは江戸時代からインターナショナルな「おもてなし」の仕事をされていた訳である。長崎の発展を陰で支えた存在としてこの遊郭は無視する事ができない。

ご丁寧に丸山町内にある案内板に詳しい説明書きがあり、この遊郭が開かれたのは寛永19(1642)年で、戦後の売防法施行までの316年間、色街としての歴史を歩んできたが、遊郭が廃止され、現在となっては雑居ビルや飲食店が連なる一見それらしき情緒も失われた風にも思える。

しかしよくよく見れば遊郭入口にはモダン建築の丸山町交番がそびえている(遊郭跡にありがちなパターンですね)し、隣の飲食店ビルはその名前が「角海老ビル」、さらに芸者衆がいる「長崎検番」(旧松月楼)や「料亭青柳」(旧山崎屋→杉本屋)「料亭花月」(旧引田屋)の建物なども各所に残っている。

この歴史的な色街にゆかりのある人物と言えば、やはり美輪明宏氏の存在。丸山町にあったカフェー「世界」が同氏の生家である。

長崎市 長崎

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