物件情報
大阪の空の玄関口、大阪国際空港(伊丹空港)の北西部、伊丹市中村には昭和10(1935)年頃から現在の大阪国際空港の前身となる大阪第二飛行場建設の労働力として集まった朝鮮人労働者の飯場があり、それが戦後になって帰るあての無くなった人々が空港・河川用地となった当地に不法占拠の形で住み続けていた。
この地区の様子を2007年に見に行ったが、猪名川と空港の滑走路に挟まれた形で取り残されたように残る陸の孤島とも言える場所で、産廃処理場や工場、バラック家屋が立ち並ぶ中で所々空港用地として接収された土地が歯抜けのように点在していた。頻繁に頭上を行き交う飛行機のつんざくようなジェット音、中村地区の住宅は不法占拠という手前、周囲の他の住宅地のように家屋には防音対策は無く、人道的理由で水道、電気等のインフラは通っているものの、路地の舗装は明らかに不十分だ。さらに猪名川に架かる桑津橋の近くには伊丹朝鮮初級学校もある。
中村地区の昭和50年代の航空写真を見ると不法占拠スラムが滑走路にめり込む形で広がっていて、かつては人口千人規模の集落となっていた。昔の住民は養豚や密造酒、廃品回収業などで生計をしのいできたとされる。
21世紀初頭まで残り続けた中村地区の住民は、国や伊丹市との協議に合意した結果、中村地区のすぐ南側に整備された市営桑津住宅に集団移転する事が決まり、2009年中に全ての住民が立ち退き、不法占拠スラムの長い戦後史にピリオドを打った。
現在は綺麗に車道が整備され、伊丹空港からの飛行機の離発着を見学に来るギャラリーが多く立ち寄るスポットとして人気が高い。
物件写真
2007年当時の中村地区の様子。不法占拠状態が残っていた
桑津橋近くにある伊丹朝鮮初級学校
家の軒先からいきなり空港の滑走路が見える
現在、中村地区住民は市営桑津住宅などに転居している
中村地区整備事業完成記念碑
記念碑の裏側には地区の成り立ちについても記されている