若胡子屋跡

呉市

江戸時代から北前船の風待ち港として栄えた大崎下島の御手洗港には、享保9(1724)年から開かれ、今も御手洗港で唯一建物が残る待合茶屋。御手洗港で最も大きな町屋で、天井に屋久杉が使われていたりと贅の限りが尽くされている。「おちょろ舟」で沖稼ぎに出る下級遊女とは違い教養を身につけた位の高い遊女が居たとされる。若胡子屋を含めて御手洗には四ヶ所の待合茶屋があり最盛期には300人、若胡子屋だけでも100人以上の遊女がいたそうで西日本屈指の遊郭とも言われていた。

若胡子屋跡は長らく崩壊の危険の為閉鎖されていたそうだが、建物の補強が施されたらしく2012年3月現在館内見学が可能で、内部は展示館として御手洗遊郭で働いていた芸妓・娼妓の暮らしぶりやその不幸な事件の数々が記されていた。若胡子屋二階に残る「お歯黒事件」の痕跡も生々しい。

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