下関駅から東に1キロ、関門海峡を目前とした赤間神宮とその周囲に開けた唐戸市場や唐戸商店街などがある界隈に「稲荷町遊郭」というものも存在していた。この稲荷町遊郭は源平合戦の時代から存在し「遊郭発祥の地」とまで言われる程の歴史ある遊郭だった。
壇ノ浦の戦いに敗れた平家の女官達が未亡人となり食うに困って春をひさぐ運命を背負ったというところから「発祥の地」の由来が来ているそうだが、現在稲荷町遊郭の名残りを留めるのは、僅かに見られるスナック街に置かれた「旧赤間関稲荷町跡」の石碑とかつて遊郭時代に最上級の妓楼だった大阪屋跡地にそびえる「東京第一ホテル下関」の真裏にある「末廣稲荷神社」のみ。ここは下関で最古の稲荷神社でかつては立派な神社だったというが空襲で焼失しているので、現在の神社はそれほど大きなものではない。