第二次世界大戦終結まで極東アジア最大の飛行機メーカーとしてその名を轟かせた「中島飛行機」の東京工場だった土地が荻窪駅から北西に約1.5キロ離れた杉並区桃井三丁目にある。中島飛行機は戦後に解体されその後富士精密工業に変わり、さらに日産自動車荻窪工場へと姿を変えて、1998年に群馬県へ工場移転。その跡地は大型マンションやショッピングモール、桃井原っぱ公園などに整備されて、せせこましい路地と住宅密集地の多い杉並区ではあまり目にしないイマドキな新興マンション街に変わっている。
中島飛行機時代に当地で日本初の国産飛行機用エンジンが当地で製造された事と富士精密工業時代に日本初のペンシルロケットがやはり当地で製造された事から「旧中島飛行機 発動機発祥之地」「ロケット発祥之地」と2つの記念碑が置かれている。青梅街道沿いに日産プリンス東京荻窪店があるのは日産自動車の工場があった名残りである。