縁切榎

板橋区

旧中山道板橋宿の上宿付近には縁切榎という物騒な名前の榎の木が立っている。昔この榎の下を嫁入り行列が通ると必ず不縁になるという迷信が出来て、この榎を避けるように通っていた事から縁切榎の由縁が出来たというのだが、今この場所を訪れると普段から多くの参拝客がいるのだろう、ここぞとばかりに絵馬が掛けられており各々縁を切りたい相手の名前が書かれていて非常に生々しい。「縁切り神社」として名高い京都の安井金比羅宮みたいな事になっている訳だが、絵馬の内容を見ると往々にして電波な書き込みが見られるのは場の因縁と申しましょうか、何とも人間の心の闇が垣間見えて背筋が寒くもなる。

境内に生えている榎の木は三代目のもので、縁切りの願い事が叶うと信じて榎の樹皮を切り取ったりする者もいるので、幹にバリケードが巻かれていて見た目に異様だ。二代目の榎は枯れて死んでしまい、コンクリの石碑に埋め込まれた形で保存されている。他にはガチャポンに入れられた「縁みくじ」を引く事も出来る。

ちなみにこの縁切榎から板橋本町駅方面の一帯は戦前まで「岩の坂」転じて「イヤノ坂」とも呼ばれた帝都東京の一大スラム街だった場所で、もらい子殺し事件(1930年)が発覚し一気に有名になったが、戦時中に陸軍施設の建設でスラム街の住民が強制疎開させられ消滅している。

板橋区 板橋本町

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