船橋市役所のすぐ近く、船橋市南本町に属する一帯。この付近は戦時中の強制疎開で江東区あたりからやってきた人々や戦後も都内からの引揚者が住み着いた事から「都会から疎開してきた人達が住む場所」として「都疎浜」という地名が付けられるようになったという。元々は放棄された塩田跡地で地盤もよろしくないが、狭小住宅が今も仲良く路地に連なっているあたりがそうだ。特に都疎浜の最も東側、「山谷澪」と呼ばれる水路沿いの土手に築かれたバラック小屋が立ち並ぶ一画は「南本町44番地」にあたり、特に戦後のドサクサ臭が色濃く残る。明らかな不法占拠物件であるバラック小屋は放棄されて荒れ果てて建物自体が大きく土手下に傾いたものまであり「所有者不明」の看板まで見られる。それを見下ろす真向かいの最新式タワーマンション住民の心境も複雑なようだ。