JR京都駅東側から鴨川の西側までの一帯にある地区名。地区の案内板には地名の由来を「崇仁坊 平安左京の坊名。平安京二十坊の一」と記しておりかつては一大皮革産業地帯が形成されていた。歴史的に被差別問題を抱えており、地区には明治時代に皮革産業事業者を相手にした私立銀行「柳原銀行」の建物をそのまま残した柳原銀行記念資料館などがある。
戦後はJRの線路を挟んだ南側の東九条地区同様、都市の貧困層を受け入れスラム化した事で、国際観光都市である京都の玄関口から徒歩圏内にあるとは思えない光景だと言われてきた。その後市営団地が数多く建てられるようになり生活環境は向上したが、未だに塩漬けになったままの市有地などで一部虫食い状態になった土地が残っていたり、高度経済成長期に不良住宅の改良を主張していた団体のスローガン看板などが残されている。2014年1月、京都市立芸術大学を同地区に移転する計画が浮上している。