横浜市南区南太田一帯にかつて存在していたという「乞食谷戸」と呼ばれたスラム街。明治時代から都市化が始まった横浜において当初から貧困層が集まりだした場所で、当時日本最大級の規模を誇る程だと言われていた。昭和初期に同潤会による不良住宅地区改良事業が施され、この土地にも同潤会アパートが数多く建設されてもいた。
その乞食谷戸があったのは南太田駅に程近い「ドンドン商店街」から久保山方面の山手の住宅地で、戦災もあったのでかつてのスラム街の風景というのは殆ど名残りもなく、ごく普通の住宅地となっているが、その当時から続いているらしい土木業や塗装業の事務所や戦後建てられたと思しき粗末なトタン小屋や電波アトリエと化したお宅がちらほら見られる。一方で谷戸地形が多い横浜ならではで、この界隈にも「急傾斜地崩壊危険区域」の看板が建っている。