阿部定事件の舞台として有名な尾久三業地があったのは現在で言うところの荒川区西尾久二丁目あたりになる。都電荒川線の宮ノ前電停が最寄りで、女子医大通り宮前商店会などがあり、地味な下町の風景が広がる。西尾久二丁目の一角にある碩運寺に大正3(1914)年にラジウム温泉が発見された事がきっかけで湯治場を作ろうという事になり「寺の湯(後に不老閣)」が建設された。それから尾久は三業地として発展を始め、次々温泉宿や出来ると芸妓屋も増え始めて色街になったという経緯がある。
阿部定はここ尾久三業地の待合「満佐喜」で芸妓として働いていた中で事件を起こした。戦前の話だが今も語り継がれる日本近代史のイエロージャーナリズム的な事件の一つである。現在満佐喜の跡地は一般住宅になっており、尾久三業地の形跡は全くと言っていい程無くなっている。