基町団地

広島市

戦前は軍都だった広島市が原子爆弾投下の目標とされ、1945年8月6日朝に広島市上空に投下されたリトルボーイが炸裂し、中心市街地はことごとく壊滅した。この基町界隈は原爆投下地点から北に約1キロ足らずの太田川左岸にあり、陸軍用地(広島陸軍病院)などがあった場所だという。戦後になり跡地には家を失くした市民によるバラック村が形成され、いつしか「原爆スラム」と呼ばれるようになったのだが、その原爆スラムを解消する為に計画されたのが基町団地だった。

団地棟は1969年から10年掛けて相次いで建てられ、特に大型高層棟として建設された18~20号棟の存在感が凄まじい。スラム街だった場所も現在は公園となっていて面影は全く残っていない。現在は団地の老朽化と高齢化が進み商店の空き店舗もかなり増えていてショッピングセンターも寂れっぷりが半端ない。

タイトルとURLをコピーしました