かつて外国人居留地が開かれ、幕末から明治にかけての文明開化の時代に大阪港の礎として発展してきたという歴史を持つ大阪市西区川口であるが、現在は寂れた倉庫街の印象が強い一帯である。
梅田と天保山を結ぶ路線バスが往来するみなと通沿いの大阪市営バス「川口一丁目」バス停真ん前にそびえる廃墟と化した大型団地が一際異様な雰囲気を放っている。開口部は全てベニヤ板で塞がれ不法侵入者を妨げている。
「大阪市営川口住宅」という昭和29(1954)年に建造された相当な年代物の鉄筋コンクリート建築で、住宅だけに留まらず事務所や店舗も同居していた建物なので正式には「川口ビルディング」という名称が付いているが、1991年の時点で建物の老朽化を理由に入居者の募集を停止してはいるものの、入居者が全て退去した現在も半ば廃墟状態のまま解体されていない。これも情けない事に大阪市の財政難が理由だそうだ。一時期はアート関係者に空き部屋をギャラリーとして貸し出す計画もあったようだが、それも立ち消えになってしまった模様。
現在もビルの各所には当時入居していた個人商店や飲食店の看板があちこち残され、過ぎ去った昭和の時代をそのままに姿を留めている。かつてはビル後背部に5階建ての「第二住宅」もあったが、こちらは既に解体されて大阪市住宅供給公社の高層住宅「コーシャハイツ川口」に建て替わっている。