新世界・通天閣

大阪市浪速区

大阪における古くからの娯楽の殿堂として栄えた「新世界」が誕生したのは明治36(1903)年に当地で開催された「内国勧業博覧会」後のこと。博覧会の跡地の東半分が天王寺公園及び天王寺動物園として開発され、西半分が現在の新世界になった。明治45(1912)年に完成したエッフェル塔と凱旋門を合体したような形の初代通天閣のもとに「ルナパーク」なる都市型遊園地が開かれ、映画館や芝居小屋が出来るなどして現在の新世界の原型が出来た。フランス・パリを意識したと言われる通天閣から北側の放射状道路が出来たのもこの時からの事。

戦時中は金属類回収令によって初代通天閣は解体、新世界一帯も空襲で壊滅した後に昭和31(1956)年に現存する二代目通天閣が完成。その後も大衆娯楽の拠点として東京の浅草に並ぶ街になっているが、釜ヶ崎やら飛田新地やらDEEPゾーンの至近にある為風紀が悪く一般市民が気易く近づける雰囲気になかった場所だったが現在では通天閣から南側一帯が観光客向けのド派手な外観の串カツ屋が密集しまくるコテコテ観光地になってしまいなんだか食傷気味。通天閣自体も観光客が常に入場待ちの行列を作っている。

浪速区 新世界

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