横浜市内における一大遊郭地として栄えていたのが横浜市南区永楽町・真金町を跨ぐ一帯にあった「永真遊郭」。明治時代に高島町にあった遊郭が火災による焼失で当地に移転してから売防法施行前の昭和33(1958)年まで現役だったが、その後は色街としての歴史を閉じて、そっち系のホテルが何軒か営業している以外はマンションが立ち並び、場所柄タイ料理屋や韓国料理屋も多い、インターナショナルな下町風景を見せている。
現在も遊郭時代の趣きを残す中央分離帯のある広い街路を突き当たった西側、横浜橋通商店街の隣にある「金刀比羅大鷲神社」がかつての永真遊郭の鎮守で、同遊郭の起源である港崎遊郭の創設時に讃岐の金比羅山を勧請して建てられた神社であり横浜市屈指の「酉の市」の名所として11月の特定日には大勢の参拝客と露店が出揃い凄まじい人だかりとなる。そんな神社の玉垣には当地出身の落語家・桂歌丸の名が刻まれている。同氏は真金町の妓楼「富士楼」が生家である。