千駄ケ谷の旅館街

渋谷区

終戦直後の千駄ヶ谷界隈は朝鮮戦争勃発の特需で街に溢れた米兵達とパンパンガールで溢れていた土地で、昭和20年代後半から30年代初めを中心に連れ込み旅館が隆盛を極めるも、売防法施行で旅館街は転身を余儀なくされる。
その後の1964年東京五輪開催で当地周辺の風紀を正す動きが見え始め、それに加え「鳩の森騒動」と呼ばれる住民運動で千駄ケ谷は文教地区に指定、旅館の新規開業も出来なくなり、千駄ケ谷の旅館街としての歴史が終息した。
現在も鳩森八幡神社近くにその当時の名残りと思われる古びたホテルの建物があるが既に営業している様子はない。

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