タチソ地下壕跡

高槻市

第二次世界大戦中の昭和19(1944)年、敗戦色が濃厚になった旧日本軍は全国各地に突貫工事で地下施設を作る計画を立て、それらの計画には朝鮮人が多数「強制徴用」された上で昼夜を問わず酷使され、多くの人々が命を落とした、という共通のエピソードが存在している。それを事実と取るか誇張と取るか嘘と取るかは別にしても、である。

で、この高槻市という伝統的左翼都市にもそのような戦争遺構が存在しているという。市内北部にある成合地区に「高槻地下倉庫」と呼ばれる地下施設が極秘裏に建設を進められていたという。旧陸軍は地下施設の存在を隠す為「高槻・地下・倉庫」の頭一文字ずつを取って「タチソ」という暗号で呼んでいたとされる。

昭和19(1944)年11月に工事開始、縦横無尽に30本以上も掘られたトンネルの総延長は約4500メートルにも及び、川崎航空機工場として使用される事が後に決まったが、完成する事なく終戦の日を迎え、このトンネル群は全くの無駄となってしまった。

現在もトンネルの一部は特定のイベントに参加する事で見学が可能だが、崩落も激しく、素人の判断で安易に立ち入る事は出来ない。一般人でも見られるのはせいぜい「タチソ地下壕跡」と書かれた案内の石碑くらいだ。

トンネル工事で集まった朝鮮人労働者の飯場が戦後に残った事もあって、成合北の町付近には今でも在日韓国・朝鮮人世帯が多数居住しており、家の玄関の表札を見れば確かにそちらの方々ばかりである。

高槻市 高槻

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