薄野遊郭

札幌市

北海道を代表する巨大歓楽街「すすきの」の地名の元となったのが、明治4(1871)年に北海道開拓使によって開かれた「薄野遊郭」の存在であった。内地から数多くの人々が北海道開拓の為に集まり、厳しい気候と辛い労務に明け暮れる開拓者達が内地に戻る事のないように「足止め策」として夜の捌け口を急遽拵える必要があったのだ。

それが今なお北海道最大の歓楽街としての歴史を脈々と受け継いでいるのだが、薄野遊郭は大正9(1920)年に白石区菊水に移されており、遊郭があった名残りを辛うじて留めているのが南7条西4丁目にある豊川稲荷札幌別院の境内にある「薄野娼妓並びに水子哀悼碑」とかつての妓楼の屋号や楼主の名前が刻まれた玉垣である。遊郭としての歴史は半世紀程しか無かったにせよ、開拓者の縁の下を支え不幸な人生を閉じた女性や水子の存在があった事を確かに物語っている。

札幌市 すすきの

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