外島保養院記念碑

大阪市西淀川区

物件情報

ハンセン病患者隔離の歴史は悲劇の連続である。その歴史の一端を垣間見られる場所が、大阪市内にも存在するというので行ってきた。場所は大阪市西淀川区中島二丁目。地図で見ると尼崎市との境を流れる中島川の河口近くで、街外れもいいところ。最寄りに鉄道駅も無ければ市バス停留所「中島公園」から徒歩20分も掛かる僻地である。

日本通運株式会社「北港ロジスティクスセンター」真向かいの川べりの空き地に「外島保養院記念碑」と書かれた小さな石碑がフェンスに囲われて置かれているのが見られるだけで、それ以外は何にも無い。この土地に明治42(1909)年、外島保養院というハンセン病療養所が開設されたが、その当時は海抜ゼロメートルで地盤もすこぶる悪い低湿地帯、水害が起きれば真っ先にやられる土地で、何度も移転計画が出たものの、移転先の住民による反対運動にその都度遭い、結局移転を断念したまま当地は増床を重ね、ハンセン病患者300人を収容するまでに拡大していたが、さらに1000人を収容できるよう拡張工事が行われていた最中、昭和9(1934)年9月21日に襲来した室戸台風が施設を直撃、入所者173名(597人中)、職員3名、職員の家族11名、工事関係者9名、計196名が犠牲となり、施設は再建される事なく、昭和13(1938)年に現在の岡山県瀬戸内市(岡山県邑久郡)長島に「邑久光明園」が開設され、外島保養院の入所者の受け入れ先となった。

この石碑は1997年に邑久光明園入園者自治会によって建てられ、毎年9月には室戸台風での犠牲者を追悼する行事が行われているという。

物件写真

大阪市内にもあったハンセン病療養所

ハンセン病

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