上九一色村・サティアン

南都留郡

1995年、地下鉄サリン事件を起こした直後に教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が逮捕されるまで、オウム真理教が実質的な拠点にしていた山梨県西八代郡上九一色村の富士ヶ嶺(ふじがね)地区。あの衝撃的な騒動から20年近くが経ち、現在その現場となった富士ヶ嶺地区には教団の忌まわしい記憶を残すものは全くと言って良い程存在しない。教団が「第一上九」と呼んでいたあたりは第2,3,6サティアンなどがあったがいずれも解体され、跡地は「富士ケ嶺公園」として整備されている。

その公園の片隅に小さな石碑が建てられていた。「慰霊碑」とだけ書かれたその石碑には事件の史実を物語る碑文も見当たらない。ただこの場所で起きた教団リンチ事件の被害者の霊を鎮める為の慰霊碑らしい。上九一色村という地名もオウム真理教の負のイメージのあまり、2006年の市町村合併で御坂山地を隔てて北側は甲府市に、南側は富士河口湖町に分割され、自治体としての名前も消滅した。

富士河口湖町 上九一色

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