会津若松市の七日町通りから只見線の線路を越えた先、会津と新潟を結ぶ越後街道沿いに旧湯川が流れ、そこに架かっている橋が「涙橋」と呼ばれている。藩政時代に旧湯川下流の薬師川原に刑場が置かれ、多くのキリシタンが処刑されていった。橋の傍らに案内板があって涙橋の由来が書かれているので、非常に分かりやすい。旧処刑場付近にはキリシタン塚があり、藩政時代のキリシタン弾圧の歴史を物語っているのである。
また七日町方面からこの涙橋に来るまでの間に数軒の「馬刺し専門」と書かれた畜産業者が所在しており、会津の馬肉文化を肌身で感じる事ができる素敵な街道散歩が楽しめます。
なお、正式名称は涙橋ではなく柳橋なのだが、帰りにタクシーを呼ぼうとして連絡を入れた所、柳橋ではイマイチ通じず「涙橋」と言うと即座に通じた。こちらの方が通りが良いらしい。